暴力団同士の抗争というのが、最近ちょくちょく報道されていますね。これもその一つで、ある暴力団員が、暴力団の組長の車に火炎瓶を投げ入れたということで、放火などの罪に問われていました。
しかし起訴された5つの罪のうち、放火などの3つの罪は無罪と判決されたのです。
埼玉県地方裁判所の判断
今回の事件について、警察は長期間にわたって監視カメラを設置していました。怪しい男がいて、そいつが行きそうなところに仕掛けておいたのです。それが本件の被告人宅の近くでした。
しかしカメラを仕掛けた段階では被告人には容疑はかけられていませんでした。別件で仕掛けたカメラだったのです。
ところが後に、被告人がガソリン携行缶を運ぶ姿が映し出されていたため、発生した放火事件の被疑者として逮捕することになりました。
カメラには無関係の近隣住民の姿も映っており、別件で追われていた男が被告の家に立ち寄らなくなってからも撮影を続けていたことが問題になり、プライバシーを侵害する捜査だと指摘されました。
その結果、違法な手段によって収集されたとみなされ、さいたま地裁は証拠能力を否定したのです。
時々起きる違法捜査
これまでも時々、証拠が違法に収集されたと見なされることがありました。最近では、大阪で二つの裁判が起きています。
いずれも、覚せい剤の取り締まりのために職務質問をしたときのやり方が問題になりました。職務質問は任意なので、拒否することが出来ます。しかし警察は、相手を取り囲み、逃がさないようにしました。
いずれの裁判でも職務質問が違法であったことが認定されましたが、証拠の扱いは異なりました。
逃げようとした男を取り押さえた裁判では証拠能力が否定されましたが、逃げようとした男を引き戻した裁判では証拠能力は認められたのです。
恐怖政治にならないために
そもそも、なぜ違法捜査が禁止されているのでしょうか? 証拠はあるのだから、そいつが悪者であることは間違いない。なら、結果論ではあるけど、裁いてしまってもいいのではないか。
そんな風に考える人も多いと思います。
しかしそれがエスカレートすると、すごいことになってしまいます。いわゆる、恐怖政治というやつです。
実際にソ連で行われていたと言われることですが、拷問が横行しました。政治的に地位のある人間を処分したくなったら、そいつに何かの容疑を着せ、拷問します。いつかは罪を認めます。実際にはやってなくても。
自供というのも証拠の一種です。結果的ではあっても証拠があれば裁いていい、という論法なら、拷問で罪を認めさせてもかまわないことになります。
このような野蛮な国家にしないためには、証拠の集め方にもルールが必要になるのです。それが刑事訴訟法としてまとめられています。
今目の前にあるのは小さな問題かも知れませんが、それを容認することでとんでもない道へ進んでしまう可能性がある。だから、そうならないように、小さな問題で済んでるうちにルールを徹底するわけです。