今話題のことに乗っかるメディア

新潟女児殺人事件に見る、犯人の人格とアニメ

先日、新潟で起こった殺人事件は実に痛ましいものであった。

そして、犯人の人格の問題点として、「アニメ好き」というキーワードが多くのメディアで叫ばれている。

メディアのアニメ叩きには正直辟易するが、猟奇的殺人事件における問題点は本当にアニメや幼女性愛にあるのだろうか?

幼女性愛もアニメも日本人の性?

日本では古来より、ロリコンもショタコンも存在していたことは、少し踏み込んで歴史を学べばすぐにわかる事である。

また、アニメの原点は日本美術にある。浮世絵のように、デッサンを無視し印象で描かれた絵は、目が大きくおっぱいを大きくした女の子の絵の原点だと筆者は考える。その中にはタコの触手に絡まれたようなエッチな春画も存在している。そして今、そういった絵は美術館に飾られている。

つまりアニメ絵もエッチな触手も、少なくとも江戸時代には存在していた、ということである。では、なぜ今更日本人はアニメを叩き潰そうとし、猟奇殺人の原因としてなすりつけようとしているのか、である。

根っこにあるのはイジメ文化

メディアがアニメを叩く理由は割りとシンプルだと思う。特別な理由があるわけではなく、叩きやすいから、なのだ。

学校のイジメもそうだが、日本では身近な叩きやすい人間を叩き潰す事で自分の保身を得ようとする。誰かに擦り付ける事で自分が正義の味方となり、人を裁く事で快楽を得ている、とも言える。

メディアは自分達が正義である事を証明する為に、手近にあって叩き易かったオタクとアニメを叩いたのだ。多くの人が勘違いしがちなのだが、マスメディアは警察ではないし、裁判官でもない。人を裁く立場にはないのだ。

ところが、テレビやインターネット上で大きな声で叫ぶと多くの人がそこに注目し、あたかも人を裁いているかのように錯覚するのだ。

多くの人はその大きな声にさえぎられ、本当の事を知ることができない。そして、メディアの声は皆の声となり、自分たちもそこに乗っかる事で悪者を裁く善良な市民であると錯覚するのだ。

裁かれるべきは悪と罪

当然の事ながら、裁かれるべきは悪と罪である。そして、それを裁くのは法である。

ところが、メディアは悪や罪を裁くのではなく、人を裁く。

あいつは悪いやつだ!なんかやばいやつだ!そう叫んで多くの人がそれに乗っかれば自分たちの正当化ができる。乗っかった人達も正当化されてる自分を正当化し続けたいから、そのまま乗っかりっぱなしだ。

イジメもそうだ。根本にあるのは自己の正当化であり、正当である事を認めて貰いたい承認欲求。そして、正当化した人達は自分の正当性を崩したくないから同調し続ける。

メディアがアニメ叩きを辞めれないのは自己の正当性を揺るがすからである。そして、自分たちが正義の味方であるという快楽に浸れなくなる事が嫌だからである。

某情報番組の司会者など、大岡裁きごっこしている自分に酔いしれている。何度も言うが、裁かれるべきは悪と罪であり、それを裁くのは法である。

メディアが貫こうとする、おかしな正義感がこれ以上まかり通らない為にも、我々は物事の本質に注視して行かなければならないのだ。

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